図書館
2011年 06月 08日
電話をとると、受話器の向こうから中年女性が声を潜めて話す。
「OOさん(私)、いいのが入ってますよ。とっておきなんです。」
なんだ、なんだ?まるで怪しげな薬の取引みたいな場面だが、そうではない。
何故、声を潜めなきゃいけないのか意味不明だが、図書館司書さんからの電話だ。
「乙一さんの新刊と、東野圭吾さんの新刊。あと少しで図書室閉まるんですけど、すぐ来られます?それとも明日までとっておきますか?」
こうしてまた呼びつけられた私は、尻尾を振って図書館に向かうのだ。
なんともX町の図書館は、不思議な場所だ。
図書館司書さんが自戒の念を込めて言っていた。
「この前、クレームが来たんですよ。図書室は静かにしなきゃいけないのに、カウンターが一番うるさいって。」
カウンターの前には、ズラリと漫画棚(スラムダンクやらちびまる子ちゃんといった)が並び、中学生が床座りで占拠している。
そしてカウンターでは、司書さんと近所のおばちゃん方がお喋りに夢中になっている。
カウンター横の新刊コーナーには、本好きが目当ての本を物色し、司書さんに「あれはまだ入っていないか?」「この人の本は貸し出し中か?」と大声で注文する。
よく言えばアットホーム。
悪く言えば施設の私物化。
そんな私も、思いっきり図書室を私物化している。
私は新刊の情報は、新聞の広告や、書評から得ている。
気になる本は、とりあえず図書室にリクエストする。
7~8割は、新刊コーナーに入れてくれるので、私はほとんど本を買わなくなった。
独身時代は一ヶ月に3~4冊は購入していたので、とても節約になっている。
図書室は貧乏人が行くところ、本物が好きな人は購入する。
そんな事を聞いたことがあるが、私は貧乏人だからこれでいいのだ。
そんな私が、最近、一番面白かったと思えた本。
それが、「ユリゴコロ」
新聞の広告で、こう紹介していた。
「人の絆が、モノトーンの世界に彩りを取り戻される衝撃の恋愛ミステリー」
この広告文が、一番本の内容を表現していると思う。
物語は、連続殺人の告白をした日記から始まる。
誰が書いた日記なのか?亡くなった自分の母親?ガンで死期が迫った父親?それとも他の誰か?
殺人の日記を軸に物語は進み、進んでいくうちに温かい空気が漂ってくる。
本当に不思議な本だった。
恐ろしい内容なのに、最後は温かい気持ちになって涙が流れた。
作家は50歳を過ぎてからデビューした女性らしい。
「沼田まほかる」というその人は、主婦であり、僧侶でもあり、実業家の顔も持っているという。
私はすっかり沼田まほかるのファンになって、図書館にあった他の二冊も借りてみた。
「九月が永遠に続けば」
高校生の一人息子が、ある日突然、謎の失踪をすることから始まる。
母親が息子を捜していくうちに、知らなかった息子の一面を知り、もはや息子は自分が守るべき小さな存在ではなく、一人の男として独り立ちしつつあった事に気がつく。
ミステリーの種明かしをしてしまうので、これ以上内容は書けないけれど、物語の終わり方は私には違和感が残った。
それは、やはり私自身が男の子の母親だからかもしれない。
「猫鳴り」
この本は、3つの物語から成り立っている。
一つ目の物語は、やっと授かった子どもを流産してしまった中年夫婦と、そこにやってきた小さな捨て猫の話。
二つ目の物語は、引きこもり、心に闇を抱える少年と巨大な猫の話。この猫は一つ目の物語に登場した捨て猫なのだが。
そして、圧巻だったのが、三つ目の物語。
一つ目の物語に登場した中年夫婦の夫(すでに老人になった)が、老猫の最後を見守る話。
ページをすすめるたびに、物語と、老人と、老猫がブラックホールと呼ぶ「死」に向かっていく。
作者は「死」をブラックホールのように「無」であると表現する。
静寂の中で、ゆっくりとゆっくりと「無」に向かっていく。
丁寧に丁寧に、描く臨終の場面は仏教の教えが影響しているのだろうか?
人間はこの世に産み落とされて、また無へと還っていく。
僧侶でもある作者の仏教観が表現されていて、リアルな人間と猫の末期が荘厳な感じだった。
そのほかにも、海堂尊の本も借りてみた。
NHKでドラマ化されていて、ドラマは観ていないのだが内容を聞いて前から興味があったのだ。
「マドンナ・ヴェルデ」
作者の海堂尊は現役の医者なんだそうだが、同じく現役の医者である帚木 蓬生の作風と似ていると思った。
現役の医者とあって、医療行為や医療社会の裏側をリアルに書いてあるんだけれど、人間描写はやっぱり医者目線で書かれているな~という感じ。
人間のヒューマニズムより、社会の矛盾や問題点に重きを淡々と語っているような。
人間の生と死を、冷めた目線で書いたエンターテイメント。
宗教的な観念からは距離がありそうなのに、どこか仏教の生と死の考え方に近いところがある不思議な話だった。
内容はドラマを観てご存じの方もいるとおもう。
産婦人科の女医である娘が妊娠できない体とわかったとき、娘は母親に「代理母になって欲しい」とお願いするところから始まる話だ。
実際、50歳を過ぎた母親が代理母として妊娠するのだが、いつまでも気持ちが通わない母と娘。
まるで人間ロボットのように、子を宿すためだけにあるような母親。
そのことに違和感を感じない新世代の娘。
(ドラマではどんな風に描かれているかわからないけど)
この本を読んだとき、最近見たあるニュースを思い出した。
アフリカのある貧困国での出来事。
10代の少女30人以上が長い間、一つの施設に監禁されていて、そこで何度も妊娠させられ、産まれた子どもは売春目的や臓器売買目的で売られていたという。
最近発覚した世界ニュースらしい。
女性の子宮は、どんなロボットでもかなわない神秘の宝物。
そこに人間の利権が絡むと、どんどん暴走していくという警鐘。
本のラストも、救いはあるけれども、私は嫌悪感を持った。
やはりこれも、子を持つ母親だからかもしれない。
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「OOさん(私)、いいのが入ってますよ。とっておきなんです。」
なんだ、なんだ?まるで怪しげな薬の取引みたいな場面だが、そうではない。
何故、声を潜めなきゃいけないのか意味不明だが、図書館司書さんからの電話だ。
「乙一さんの新刊と、東野圭吾さんの新刊。あと少しで図書室閉まるんですけど、すぐ来られます?それとも明日までとっておきますか?」
こうしてまた呼びつけられた私は、尻尾を振って図書館に向かうのだ。
なんともX町の図書館は、不思議な場所だ。
図書館司書さんが自戒の念を込めて言っていた。
「この前、クレームが来たんですよ。図書室は静かにしなきゃいけないのに、カウンターが一番うるさいって。」
カウンターの前には、ズラリと漫画棚(スラムダンクやらちびまる子ちゃんといった)が並び、中学生が床座りで占拠している。
そしてカウンターでは、司書さんと近所のおばちゃん方がお喋りに夢中になっている。
カウンター横の新刊コーナーには、本好きが目当ての本を物色し、司書さんに「あれはまだ入っていないか?」「この人の本は貸し出し中か?」と大声で注文する。
よく言えばアットホーム。
悪く言えば施設の私物化。
そんな私も、思いっきり図書室を私物化している。
私は新刊の情報は、新聞の広告や、書評から得ている。
気になる本は、とりあえず図書室にリクエストする。
7~8割は、新刊コーナーに入れてくれるので、私はほとんど本を買わなくなった。
独身時代は一ヶ月に3~4冊は購入していたので、とても節約になっている。
図書室は貧乏人が行くところ、本物が好きな人は購入する。
そんな事を聞いたことがあるが、私は貧乏人だからこれでいいのだ。
そんな私が、最近、一番面白かったと思えた本。
それが、「ユリゴコロ」
新聞の広告で、こう紹介していた。
「人の絆が、モノトーンの世界に彩りを取り戻される衝撃の恋愛ミステリー」
この広告文が、一番本の内容を表現していると思う。
物語は、連続殺人の告白をした日記から始まる。
誰が書いた日記なのか?亡くなった自分の母親?ガンで死期が迫った父親?それとも他の誰か?
殺人の日記を軸に物語は進み、進んでいくうちに温かい空気が漂ってくる。
本当に不思議な本だった。
恐ろしい内容なのに、最後は温かい気持ちになって涙が流れた。
作家は50歳を過ぎてからデビューした女性らしい。
「沼田まほかる」というその人は、主婦であり、僧侶でもあり、実業家の顔も持っているという。
私はすっかり沼田まほかるのファンになって、図書館にあった他の二冊も借りてみた。
「九月が永遠に続けば」
高校生の一人息子が、ある日突然、謎の失踪をすることから始まる。
母親が息子を捜していくうちに、知らなかった息子の一面を知り、もはや息子は自分が守るべき小さな存在ではなく、一人の男として独り立ちしつつあった事に気がつく。
ミステリーの種明かしをしてしまうので、これ以上内容は書けないけれど、物語の終わり方は私には違和感が残った。
それは、やはり私自身が男の子の母親だからかもしれない。
「猫鳴り」
この本は、3つの物語から成り立っている。
一つ目の物語は、やっと授かった子どもを流産してしまった中年夫婦と、そこにやってきた小さな捨て猫の話。
二つ目の物語は、引きこもり、心に闇を抱える少年と巨大な猫の話。この猫は一つ目の物語に登場した捨て猫なのだが。
そして、圧巻だったのが、三つ目の物語。
一つ目の物語に登場した中年夫婦の夫(すでに老人になった)が、老猫の最後を見守る話。
ページをすすめるたびに、物語と、老人と、老猫がブラックホールと呼ぶ「死」に向かっていく。
作者は「死」をブラックホールのように「無」であると表現する。
静寂の中で、ゆっくりとゆっくりと「無」に向かっていく。
丁寧に丁寧に、描く臨終の場面は仏教の教えが影響しているのだろうか?
人間はこの世に産み落とされて、また無へと還っていく。
僧侶でもある作者の仏教観が表現されていて、リアルな人間と猫の末期が荘厳な感じだった。
そのほかにも、海堂尊の本も借りてみた。
NHKでドラマ化されていて、ドラマは観ていないのだが内容を聞いて前から興味があったのだ。
「マドンナ・ヴェルデ」
作者の海堂尊は現役の医者なんだそうだが、同じく現役の医者である帚木 蓬生の作風と似ていると思った。
現役の医者とあって、医療行為や医療社会の裏側をリアルに書いてあるんだけれど、人間描写はやっぱり医者目線で書かれているな~という感じ。
人間のヒューマニズムより、社会の矛盾や問題点に重きを淡々と語っているような。
人間の生と死を、冷めた目線で書いたエンターテイメント。
宗教的な観念からは距離がありそうなのに、どこか仏教の生と死の考え方に近いところがある不思議な話だった。
内容はドラマを観てご存じの方もいるとおもう。
産婦人科の女医である娘が妊娠できない体とわかったとき、娘は母親に「代理母になって欲しい」とお願いするところから始まる話だ。
実際、50歳を過ぎた母親が代理母として妊娠するのだが、いつまでも気持ちが通わない母と娘。
まるで人間ロボットのように、子を宿すためだけにあるような母親。
そのことに違和感を感じない新世代の娘。
(ドラマではどんな風に描かれているかわからないけど)
この本を読んだとき、最近見たあるニュースを思い出した。
アフリカのある貧困国での出来事。
10代の少女30人以上が長い間、一つの施設に監禁されていて、そこで何度も妊娠させられ、産まれた子どもは売春目的や臓器売買目的で売られていたという。
最近発覚した世界ニュースらしい。
女性の子宮は、どんなロボットでもかなわない神秘の宝物。
そこに人間の利権が絡むと、どんどん暴走していくという警鐘。
本のラストも、救いはあるけれども、私は嫌悪感を持った。
やはりこれも、子を持つ母親だからかもしれない。
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by bonbonmama
| 2011-06-08 22:18
| 読書